創業当初から恋しきとともに。大阪仕込みの和菓子を提供

聞いとる限りでは、大阪の修行を終えた先代に『恋しき』さんから府中でやってほしいと要望があってこの場所に和菓子屋を開店をしたそうです。お茶菓子、待ち受け菓子、お土産なんか、『恋しき』さんで出すお菓子は全部作らせてもらようたみたいですね。

私がお嫁に来た昭和35年頃、「恋しき」さんは全盛期。とにかくお客さんがたくさんおいでてね。ご家族もみなさん立派な良い方で、節句やなんかの行事があれば、子どもを呼んでくれることもありました。昔からきれいなお庭があって、私はお饅頭を配達に行かしてもらったりしとったけど、今になって「ようやく中を見られたわ」ゆう人もおってですよ。でも、『恋しき』さんのご家族は、「お庭へ入って見てください」っておっしゃりょうちゃった。庶民的というか、親しみのある方たちでしたよ。

材料、製法、大きさもそのままに、当時の焼印が特徴的な恋しき饅頭を復刻

恋しきさんが休館しとった間は、まち全体がさみしいですわね。近辺では知らん人がおらんほど有名で、恋しきさんの名前を出せば知らん人はおらんほど。今は朝野さんたちががんばってくれとるからね。

恋しき饅頭の焼印

府中の奥の方で蕎麦ができるいうことで、恋しきさん限定の蕎麦饅頭を作らせてもらようたのを、また復刻で作らせてもらってます。

明治から昭和の時代になるんでしょうか、『恋しき』では部屋に待ち受け菓子としてこの饅頭が置いてあったみたいです。材料、製法、大きさもそのままに再現したもので、主人が作っていたんですけど、今は私が引き継いで作ってます。一子相伝の味ですよ(笑)。

昔の焼印をそのまま使ようるんで、字も欠けてはっきり出んのんですけど。字の配置も今とはちょっと違ってるでしょう。