恋しきの開業-明治時代

恋しきのある広島県府中市は、大化の改新後に備後の国府が置かれた古い歴史のある街。石見銀山に通じる石州街道の要衝として江戸時代には周辺の特産品(木綿・藍・タバコ)や山陰地方の特産品がここを経由して全国へ運ばれ、府中市は宿町としてその拠点的役割を果たしてきました。明治5年、土井利助が恋しきの原型である「旅館土生屋」を開業。その後、当時の財界人・延藤友三郎の提案により名前を「恋しき」と改名します。後に恋しきは「戀一色」の通称で親しまれていた時期もあり、奥深さや色気を感じるネーミングが人々の心を捉えていました。

多くの著名人が訪れた恋しき

その後恋しきは、利助の子・タケが女将となることで発展し、大正7年には当時のお金で2万円と言う大金を投入。高僧が母屋の3階から指揮を取り庭園を整備し備後エリアのシンボルとしてその名を広く知れ渡ることとなります。当時、数多くの政治家、文化人が訪れ、犬養毅や岸信介、福田赳夫といった歴代の総理経験者や鳩山威一朗などの大物政治家も宿泊した記録が残っています。文化人では井伏鱒二、吉川英治、田山花袋などの作家、人間国宝の狂言師・茂山千作や備前焼の重鎮で人間国宝の金重陶陽の名前が宿泊者名簿にあります。こうして一時代を築いた恋しきは登録有形文化財基準の「再現することが容易でないもの」に該当するとし登録文化財となり、府中市のシンボルとなりました。

恋しきを訪れた人々

皇族
高松宮殿下 日本軟式野球総裁。福山地区で決勝戦があり、ふじの間にて昼食
政治家
犬飼 毅(首相)
岸 信介(首相)
福田 赳夫(首相)
鳩山 威一郎(大臣)
経済人
松田 恒次
田淵 節也
文化人
吉川 英治(作家)
田山 花袋(作家)
井伏 井鱒二(作家)
山口 瞳(作家)
永 六輔(作家)
金島 桂華(画家)
茂山 千作(狂言)
土井 茂(映画監督)
金重 陶陽(陶芸家)
芸能人
灰田 勝彦
南田 洋子
村田 英雄
吉 幾三
松崎 しげる
ペギー葉山
真帆 志ぶき
芸能人
白石 勝巳
古馬 毅
別当 薫
根本 律雄
衣笠 祥雄