歴代オーナーの意思を継ぎ、地域の宝を次世代に繋ぐ

旅館としては平成2年に廃業になって、再生するまでの15年間は全オーナーが個人のお宅として住まれていたんです。再生にあたって、建物は修繕が必要なところがいくつかあったんですけど、庭は人が出入りしなくなった15年間も綺麗に手入れされていた。これは想像ですけど、代々のオーナーが個人の持ち物という以上に、地域の宝と捉えとったんじゃないかなと思うんです。この場所を必要として後世に伝えてくれる誰かにバトンタッチするまでは、できることをしとこうと考えちゃったんじゃないかな。文化財的価値があるから残そうというのではなく、地域の宝を次世代に繋いでいくという気持ちが感じられるんですよね。

「恋しき」を地域に残しましょうといった意味が、時間を経るほどに分かってきました

『恋しき』の管理をするようになって、歴代オーナーを含め関係者がものすごく地元に貢献したり、地元の人々との交流を持たれとったという側面を聞くんです。観光の拠点、地域のシンボルということは、地域に開かれた場でないといけん。僕自身、地域の人とどんどん関わりを持ちながら、大切に守っていかないといけないんだということを自覚しはじめました。今後も後世に残していかないといけない施設だと思っています。当時の会頭が『恋しき』を地域に残しましょうといった意味が、時間を経るほどに分かってきました。ものづくりのまちである府中には全国展開する大きな企業もたくさんあり、接待や会合で『恋しき』を使われたり、いろいろな思い出があるんじゃないかなと思います。

時代は変われど、気持ちは変わらない。普遍的な想いを重ねていく

建物は変わらざるを得ないと思います。一番古いところが明治5年かそれ以前に造られたものですから、劣化はどうしても防げません。ただ、代々のオーナーがいろんなおもてなしの方法で成熟した文化を発信してきたこと、各時代によって『恋しき』が地域へ果たした役割というのは、時代が変わり、オーナーが変わっても残していくべきだと思っています。多くの人に可愛がってもらう、必要としてもらう。地域のためになることは、これからもどんどんやっていかんといけません。それは普遍的に変わらないもの。そして、本当の意味で日本の文化を伝えられる場所になれば良いなと思っています。備後国府だった府中には1300年以上の歴史がありますから、地域をあげて文化を伝えていける場所にしたいし、その中心的役割を恋しきが果たしていきたいですね。

いろんな年代の人と関わって、どんな利用方法があるか、どうすればもっと地域の人に喜んでもらえるか、貢献できるか学びたい

例えば、イベントや企画は新しいことに挑戦していくべきだとも考えています。ただ、僕なんかはどうしても文化財、古い建物、という既成概念にとらわれて凝り固まっとる部分があるんですよ。社会科見学に来た小学生の子供たちがびっくりするようなアイデアをくれることもありますからね。突飛に思えるようなアイデアも頭ごなしに否定はしたくない。いろんな年代の人と関わって、どんな利用方法があるか、どうすればもっと地域の人に喜んでもらえるか、貢献できるか、ということにもっと柔軟性を持って取り組んでいきたいです。この柔軟性というのも、特別な想いというわけではありません。『恋しき』が創業から145年も続いたということは、各時代に合わせて今までになかったもの、新しいことを恐れずに取り入れて来た今までの積み重ねだと思うんですよ。時代は変われど、気持ちは変わらん、ということ。大切なのは、受け継ぐ人間がどういう想いで受け継ぐか。僕らから次の世代へ引き継ぐ時にも、「建物を壊すな」「庭を守れ」ということだけじゃなく、想いや心を伝えていきたいです。